平須賀城 (へいすがじょう) (平主山城・平柄山城・平須山城) (町の史跡)
所在地 和歌山県日高郡みなべ町西本庄 2018.7.13
平須賀城 (へいすがじょう) (平主山城・平柄山城・平須山城) (町の史跡)
所在地 和歌山県日高郡みなべ町西本庄 2018.7.13
登城ルート
登り口・標識
北のピーク(出丸)
空堀(1)
空堀(2)
2重竪堀
下段の郭・中段の郭切岸
中段の郭・上段の郭切岸
上段の郭より主郭を見る
平須賀城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 南部川右岸の標高206.2mの平須山頂に築かれている。出丸から南に2条の空堀や2重竪堀が見られる。
山頂の主郭と北側に4段ほどの段郭があるが、日当たりがよく芒が良く茂りはっきりしなかった。
【案内】 国道424号に「平須賀城跡→」の標識がある[184 520 578*13]。そこより南へ橋を渡って約250m行き路肩に駐車する。入り口に「平須賀城跡→」が建てられ北へ約350m行った擁壁より登る[184 520 602*14](地図)。道幅は狭く、梅林用の軽トラが走るので、すれ違えず徒歩が良い。
擁壁を登ると、右側に梅林用のネットや電気柵があり、それに沿ってかなりの急斜面を登る。最初のピーク(出丸)に着き左に曲がって土塁に沿って下ると、最初の空堀に出る。
その上段に次の空堀があり2重竪堀につながっている。右斜めに登ると馬場と呼ばれる帯曲輪がある。
左に階段状の郭が4段ほど並び頂上に主郭がある(いずれも背丈を越す芒が生えはっきりしない)。北斜面に畝状竪堀があるというが、辿り着けなかった。
みなべ町の指定史跡となっている。
【歴史】 野辺氏は源経基の5男満快(みつよし)の後裔で、建武三年(1536年)、津戸野荘を与えられ居住したという。
室町時代、畠山氏に属した野辺忠房が、高田土居城を居館として、平須山に詰の平須賀城を築いたという。忠房は亀山城主・湯川氏に属し、忠房、光快、光房と続いた。
野辺光房は永禄五年(1562年)畠山氏と三好氏の合戦で河内国若江城に湯川氏と共に参じ、三好氏と戦い討死した。
その子・野辺春弘のとき幡山要害城を築いて居城を移したという。