柿原城 (かきばるじょう)
最寄地 熊本県熊本市西区花園7-56-27 2017.5.11
柿原城 (かきばるじょう)
最寄地 熊本県熊本市西区花園7-56-27 2017.5.11
登城ルート(緑線は車道)
城跡碑・由来文
主郭北西側
主郭東側
柿原城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 一体は住宅地や畑となり、主郭の切岸が残り旧跡を偲ぶことが出来る。
【案内】 県道343号線より坪井川を渡り西に約300m行き、右折細い道を北に約170m北に行った右手に空き地があり駐車できる[マップコード29 578 030*10]。その50m先の右に「柿原城跡」の標柱が建てられている(地図)。
【歴史】 戦国時代、鹿子木(かのこぎ)三河守親員(ちかかず)により築城されたと伝わる。親員はまた菊地氏の命で隈本城(後の熊本城)を築いている。
嫡男・親俊が家督を継ぐが、父に先立って没した。そのため、天文十八年(1549年)親員が没すると、その弟の鎮有が後を継いだ。
鎮有は旧主・菊池義武に帰参するが、義武が大友宗麟(義鑑の子)に滅ぼされると所領を奪われて没落し、隈本城も城親冬に奪われることになった。