天神山城 (てんじんやまじょう) (県の史跡)
最寄地 岡山県和気郡和気町木倉2605 2018.3.3
天神山城 (てんじんやまじょう) (県の史跡)
最寄地 岡山県和気郡和気町木倉2605 2018.3.3
登城ルート(緑線は車道)
亀の甲
南の段
本丸
浦上遠江守宗景之城址碑
本丸二の丸間の空堀
二の丸・奥に空堀
天神山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高280m】
【感想】 吉井川左岸の天神山から北西に伸びた標高337mの尾根上に築かれた連郭式の山城である。
日没間際で井戸、侍屋敷(本丸から1300m)には行けなかったが。階段状の郭や石垣、広い空堀など見応えがある。
【案内】 県道414号線よりキャンプ場「和気美しい森」(表記番地)へ舗装道が通じており、終点の駐車場が利用できる[マップコード233 001 772*43]。
冠木門に猪除けのネットがあり、入るとビジターセンターの前に「天神山城趾990m」の標識がある。
西に行くと石碑、案内図が建てられている。太鼓丸城(旧天神山城)を越えて、再び登ると堀切があり、上段に南の段、馬屋の段、石垣のある飛騨の丸、本丸と階段状に並んでいる。
本丸の東、土塁上に社が祀られ、西側に「浦上遠江守宗景之城址」の石碑が建てられている。本丸の南麓に侍屋敷、天瀬登山口がある。、
西側に大空堀があり、狭い二の丸、細長い長屋の段、桜馬場、大手門があり鍛冶バ、三の丸、下の段と並んでいる。長屋の段の北斜面に百貫井戸がある。
昭和五十七年(1982年)4月9日、岡山県の史跡に指定された。
【歴史】 享禄四年(1531年)六月、父浦上村宗が大物崩れで討死すると、浦上宗景は大田原・日笠・延原・明石・岡本・服部の6人の武将を連れ兄浦上政宗の室津城(播州)を立ち太鼓丸城に移った。
天文元年(1532年)兄浦上政宗は宗景を討つべく富田松山城(備前市)に布陣したが、睨み合ったまま兵を引き上げた。
天文二年(1533年)天神山城第1期工事に着手した。天文五年(1536年)宇喜多八郎(後の直家)が8歳で家臣となった。
天文十二年(1543年)三の丸増築など天神山城第3期工事が終わり完成を見た。
天文十三年(1544年)宇喜多八郎が元服し、直家と名乗り宗景は知行300貫を与え乙子城主にした。
天正二年(1574年)宇喜多直家が離反し、毛利氏と和した。宗景は信長の援助を得て毛利氏と戦う(天神山城の戦い)。
天正五年(1577年)四月十二日、日笠青山城(和気町)が落城した。五月、宗景の子与次郎宗辰が直家により毒殺され、八月十日天神山城は落城した。