元寇防塁 (げんこうぼうるい) (国の史跡)
所在地 福岡県福岡市西区小戸 2014.5.3
元寇防塁 (げんこうぼうるい) (国の史跡)
所在地 福岡県福岡市西区小戸 2014.5.3
姪浜防塁
生の松原の石碑
生の松原防塁
生の松原防塁
【遺構★★★☆☆】
【案内】 「生(いき)の松原防塁」は表記番地に面した唐津街道に標識があり[マップコード13 277 640*74] 、そこより北に松原を抜けて海岸へ出た東側に石塁がある(地図)。
「姪浜防塁」は姪浜北住宅10号棟(西区小戸1-35-10)の道路向かいにあり石碑、土塁がある(地図)。
また「小戸公園」交差点の南に長さ約300mにわたって土塁が残っている(地図)。
昭和六年(1931年)3月30日、国の史跡に指定された。
【歴史】 文永十一年(1274年)に元による侵攻(文永の役)を受けた鎌倉幕府は本格的な異国警護に着手し、翌、建治二年(1276年)に異国征伐として高麗出兵を計画し、平行して石築地を築造させ、元による再襲来に備えた。
高さ・幅は平均して2~3mあり、全体を石で築いたものや、前面だけを石で築いたものがある。
総延長は、西の福岡市西区今津から東の福岡市東区香椎までの約20㎞に及ぶというのが定説になっている。
西から今津・今宿・生の松原(西区小戸5丁目)・姪浜(西区小戸1丁目34)・西新・地行・箱崎の7ヶ所が史跡に指定されている。
弘安の役(1281年6月16日~8月29日)では元寇防塁や武士による元船の攻撃で博多の地への上陸を阻止した。