姉川城 (あねがわじょう) (国の史跡)
最寄地 佐賀県神埼市神埼町姉川976 2014.9.4
姉川城 (あねがわじょう) (国の史跡)
最寄地 佐賀県神埼市神埼町姉川976 2014.9.4
配置図
農村公園北・溝口跡
妙法寺館
姉川天満宮
館・濠
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道34号線の「神埼姉川簡易郵便局」より約500m北上すると、「姉川農村公園」(表記番地)がある[マップコード87 446 599*66] 。
城跡は中地江川左岸の標高約3mの低位置にある堀(クリーク)を巡らせた城館である。
「館」(地図)と呼ばれる島を中心に、「奥館」(地図)、「妙法寺館」(地図)、「小路屋敷」(地図)と呼ばれる島群と、北西の「北ん屋敷」(地図)と呼ばれる島群、中地江川沿いに形成される方形区画の3ブロックで構成される。
【歴史】 発掘調査の結果、「館」やその北東の「奥館」を中心とした一帯に、小規模な区画が形成され、十五世紀後半から十六世紀前半に「北ん屋敷」等の北西部に拡大した。
姉川城跡に関する文献は、延文五年(1360年)の高木貞房軍忠状(『深堀家文書』)で、「姉河・牟田城攻」の時に高木貞房が参加した。
同年の龍造寺家平軍忠状、龍造寺家経軍忠状(『龍造寺家文書』)には、龍造寺家平・家経が「阿禰河所々御陣」で宿直警護したことが記されている。
姉川城跡はこの頃に菊池武安が築城したとされる。後に菊池氏の子孫である姉川氏が入り、戦国時代には少弐氏に属していた。
その後龍造寺隆信が台頭するとその下に入り、大友義鎮の侵攻を防ぐなどの働きを見せた。
元亀三年(1572年)に姉川氏は加増を受け、姉川から坊所に転封された。その後の当城の詳細は不明だが、十七世紀初頭に廃城となったとされる。
城館跡と環濠集落跡が発掘調査され、平成二十二年(2010年)2月に国の史跡に指定された。