岩伽羅城 (いわがらじょう)
最寄地 愛媛県東温市西岡乙2−1 2020.2.9
岩伽羅城 (いわがらじょう)
最寄地 愛媛県東温市西岡乙2−1 2020.2.9
登城ルート(緑線は車道)
マテラ・入口
残り3.1km地点
北西の駐車スペース(右より登る)
北1番目の堀切
北4番目の堀切
主郭・祠
南の郭
岩伽羅城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高500m(マテラから)】
【感想】 東温市樋口の標高696mの岩伽羅山に築かれている。主郭には「岩伽羅山」の碑が建てられ、祠が祀られている。北側下段に郭があり、北尾根に大小合わせて4条の堀切がある。
また、南に一段下がった郭がある。歩き疲れて下りていないが、南側に堀切とそれに続く竪堀がある。
【案内】 東温市総合公園の東にある「マテラ」(表記番地)[マップコード53 209 838*57]より尾根に沿って約4.8kmの林道が設けられている。基本的には舗装されているが未舗装部分もあり軽トラだと楽に行けるが、普通車は残り3.1km~から2.5㎞地点が厳しい。終点に広い駐車スペースがある(地図)。自分は後3.1㎞地点から徒歩で登った。
そこから南のピークを越え、堀切のある尾根を登ってゆくと、細長い郭があり、上段に広い主郭がある。南側に一段下がって郭がある。
岩伽羅城の支城として衣掛城、吉山城、粉退城、不動城、烏ヶ嶽城がある。
【歴史】 築城時期は不明だが、和田氏代々の居城であった。
天文二十三年(1554年)和田三河守道興の時、武威を募り主家河野氏に叛き、河野通宣から命を受けた荏原城主・平岡房実に攻められ落城した(天文の合戦)。
その後を和田山城守通勝が継いだ。その子右衛門尉道繁と共に河野氏に忠節を尽くしたが、天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で、河野氏がほろび、和田道繁も運命を共にした。