衣掛城 (きぬがけじょう)
最寄地 愛媛県東温市樋口970 2021.3. 6
衣掛城 (きぬがけじょう)
最寄地 愛媛県東温市樋口970 2021.3. 6
登城ルート(緑線は車道)
登り口標識(右の沢へ)
南西尾根先端・道標
南3条目の堀切
南の2郭・奥に主郭
主郭・説明板・祠
北の堀切
衣掛城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 岩伽羅城から南南東に伸びた標高463mの尾根に築かれている。
主郭と南の2郭から構成され、北に2条の堀切、南に段を挟んで3条の浅い堀切が残っている。
【案内】 国道11号線より天満神社(表記番地)や「向山古墳」西の狭い道を進んで行くと、溜池東側に林道日吉谷線の入口がある[マップコード294 811 231*88]。
途中から未舗装となるが、林道を約1.5km北上すると登山口に至る[マップコード294 841 758*84](地図)。
登山口に駐車出来、小さな「衣掛城跡25分」の標識がある。
沢を渡って尾根を少し登り、等高線に沿って南下し再度ジグザグに登ると尾根南端に着く(標識あり)。
北に尾根を行きピークを経て、尾根の右側を登って行くと鉄塔に着く。
そこから浅い堀切が3条見られ、平坦地を経て、2郭に着く。2郭は東側に土塁が残り、坂を登ると主郭がある。
主郭は南北に細長く中央に説明板が建てられ、祠が祀られている。
北尾根に2条の浅い堀切があり、細尾根が続いている。
【歴史】 築城時期は不明だが、岩伽羅城の支城として築かれた。
天文二十三年(1554年)岩伽羅城主和田三河守道興が「天文の合戦」で落城の後、孫で和田家を継いだ和田山城主道勝が城主となった。
道勝の子・右衛門尉道繁(岩伽羅城主)と共に日吉六郎右衛門が衣掛城を守ったが、天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐により湯築城河野家が滅ぶと和田家も運命を共にした。