宝泉寺館 (ほうせんじやかた) (芦刈城・東芦刈城)
所在地 佐賀県小城市芦刈町芦溝230 2020.3.10
宝泉寺館 (ほうせんじやかた) (芦刈城・東芦刈城)
所在地 佐賀県小城市芦刈町芦溝230 2020.3.10
宝泉寺・説明板
鴨打家先祖累代の墓
西側用水路
乙宮神社
宝泉寺館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 福所江川西岸の田圃の中にぽつんと宝泉寺があり、館跡と伝わる。
南東から見ると周囲より僅かに高い。本堂西側の墓地に鴨打家先祖累代の墓があり、圃場整備の際、点在していた墓を境内に集めたものである。
【案内】 小城市芦刈町芦溝の(表記番地)が館跡である[マップコード87 251 448*21]。
入口に説明板「戦国時代の鴨打家の城跡」が建てられているが、褪せていて写真にできないのでメモしてきた。
南西約400mに鴨打氏が勧請した乙宮神社がある(地図)。
【歴史】 説明板は以下の通り。
戦国武将龍造寺隆信が肥前・肥後・筑前・筑後・豊前それに壱岐・対馬の五国2島の太守として全盛をほこっていた当時、わが芦刈町は西部地方を豪族徳島氏、東部地方を鴨打氏が支配していた。
地頭鴨打陸奥守胤忠は龍造寺氏に仕え、中溝に城(館)をかまえ武将として君臨していたが、鍋島直茂が龍造寺氏にかわり、肥前一円を領するようになり初代藩主勝茂の子元茂を小城(支藩)に封することになったが、鴨打氏一族も鍋島家の家臣として小城に転居した。
現在の宝泉寺は鴨打氏の城跡と言われており、その西側に鴨打氏一族の墓が点在している。なお乙宮神社は同氏が天文五年(1536年)これを勧請したと伝えられている。 平成4年8月1日 芦刈町教育委員会