大富山城 (おおとみやまじょう) (市の史跡)
最寄地 広島県庄原市西城町栗甲150 2021.6.8
大富山城 (おおとみやまじょう) (市の史跡)
最寄地 広島県庄原市西城町栗甲150 2021.6.8
登城ルート(緑線は車道)
大堀切 (駐車スペース)
あやめの段(3郭)
2郭・主郭切岸
主郭
城址碑
大富山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m(林道より)】
【感想】 西城川右岸の標高511.2mの大富山に築かれている。
頂上の主郭の周囲に2郭があり、南東に3段の郭が残っている。
南側の林道が大堀切で、南尾根には5~9郭がならんでいる。
5郭西の林道下に畝状竪堀、9郭の西と南尾根に3重堀切があるようだが、日没となり残念ながら見れなかった。
【案内】 国道183号線の西城川北より左折、右岸の道を行きJR芸備線を渡って浄久寺(表記番地)に向かう。浄久寺入口前より林道が始まる[マップコード628 028 141*78]。
約1.7kmトンネルを通って行くと大堀切に着きそこに駐車できる(地図)。
堀切より左回りに登ると、東側に「あやめの段」(3郭)があり南東側に段、主郭を取り巻くように2郭と並び頂上に主郭がある。
大堀切の先から南へ登ると5郭がある。そこから尾根に南北に6、7、8、9郭と並んでいる。
昭和五十一年(1976年)3月25日、庄原市の史跡に指定された。
【歴史】 奴可郡久代村(現庄原市東城町久代)を本貫地としていた久代宮氏は比田山城を居城としていた。天文二年(1533年)7代上総守高盛の時、この地へ大富山城を築き移った。
その後、天正十九年(1591年)11代広尚の時、毛利輝元の怒りを買い宮氏は出雲の塩冶へ領地替えになった。
その後に着任した天野新兵衛尉元嘉は慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いまで在城した。元嘉は毛利氏に従って長州に移り、福島正則が広島城に入り、その家老長尾隼人正一勝が東城の地に赴任するに及んで、大富山城は廃城となった。