折敷山城 (おしきやまじょう) (尾鋪山城)
最寄地 岡山県笠岡市走出4185 2022.5.5
折敷山城 (おしきやまじょう) (尾鋪山城)
最寄地 岡山県笠岡市走出4185 2022.5.5
登城ルート
東側の入口の道
説明板
北の丸
本丸北の丸間の堀切
本丸・水道施設
本丸西の丸間の堀切
西の丸
折敷山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 笠岡市走出にある標高約63mの丘陵に築かれている。広い本丸には水道施設が設けられ、西側に石垣が残っている。
本丸の東から南にかけて二の壇、三の壇と呼ばれる帯郭があり、北側と西側に堀切で隔てて北の丸、西の丸がある。竹林が多いが最近整備されたようで見やすくなっていた。
【案内】 県道48号線より市道を西に行った北麓に登り口がある[マップコード111 334 016*06](地図)。
表記番地東の道路より南にゆき、右に登ってゆくと本丸北の丸間の堀切に着く。
【歴史】 『備中府志』に、天文年間(1532~55年)摂州池田の有岡城主池田正充の次男・有岡新之丞であったと記されている。
新之丞の出奔後、走出村は小田氏領となり、神戸山城主小田政清(小田氏5代)が城主となった。
永禄年間(1558~70年)頃の城主は政清幕下の有岡右京(新之丞の弟)と名越修理であった『走出村明細帳』
永禄十二年(1569年)小田氏6代高清の弟・小田乗清が城主となり、続いて小田元家(小田氏7代)が城主となった。
江戸時代になると、走り出村は徳川直轄地となり、折敷山城は楢村監物に任された。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。