休松城 (やすみまつじょう) (安見ヶ城 )(やすみがじょう)
最寄地 福岡県朝倉市菩提寺295 2019.5.8
休松城 (やすみまつじょう) (安見ヶ城 )(やすみがじょう)
最寄地 福岡県朝倉市菩提寺295 2019.5.8
登城ルート(緑線は車道)
大平山登山口
駐車場から登った所・ここを東(右尾根)へ
南東の腰郭
主郭
主郭の標識・説明板
休松城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高240m】
【感想】 朝倉市の日向石・下渕・柿原に跨る標高300mの安見ヶ城山に築かれている。
頂上に南北に細長い主郭があり、南側に広い腰郭、北側に段郭がある。
【案内】 2018年7月に発生した朝倉市の豪雨災害復旧で北側の林道はダンプがひっきりなしに通っており、すれ違いが難しく西麓の「甘木公園」から登った。
車道で行く場合の駐車場はここにある[マップコード55 052 435*72](地図)。
国道386号線より「公園通り」に入り、表記番地横より左折して行くと、「甘木公園」駐車場が利用できる[マップコード55 050 121*68]。
そこよりテニスコート横を行くと「大平山登山口」がある(地図)。遊歩道が整備され歩きやすいが、大平山まで2.4kmを延々と登ってゆく。
城跡へは大平山展望台から東に約700mの遊歩道を行く。左の舗装された道は駐車場へ繋がっているが、そちらに行かず尾根のなだらかな道を行く。
標識が建てられ、階段が2ヶ所あり、その先から城域となる。
【歴史】 筑前で勢力を広げていた秋月氏は、弘治三年(1557年)大友氏に攻められ、古処山城は落城し、秋月文種(種方)は敗死し、その子・種実(12歳)は毛利元就の下に逃れたが、永禄初めには毛利氏の援助を得て、秋月に戻り勢力を回復していた。
永禄十年(1567年)八月、大友宗麟の家臣・戸次鑑方(べっきあきかた)は毛利氏と組んで勢力拡大を図る秋月種実を討伐するため、鑑方も兄鑑連とともに筑前国に出陣した。
大友氏の先陣は吉弘鑑理が道場山に、臼杵鑑速が福嶽城に、後陣の戸次鑑方は安見ヶ城に陣を敷いた。
同年九月、秋月軍は大友軍と激突したが、戦況不利として引き上げた。その夜、警戒を解いた大友軍に対して種実は夜襲を仕掛けた(休松の戦い)。
秋月軍の夜襲を受けた大友軍は、同士討ち等で壊乱し、乱戦の中、鑑方も一族の戸次親繁、戸次親宗らと共に種実に討ち取られた。
秋月氏は天正十五年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、秋月種実は日向国高鍋(高鍋城)三万石に移封された。