権現嶽城 (ごんげんだけじょう)
最寄地 大分県由布市庄内町龍原443 2019.5.4
権現嶽城 (ごんげんだけじょう)
最寄地 大分県由布市庄内町龍原443 2019.5.4
登城ルート(緑線は車道)
北側遠景
功徳院
南東の分岐
西の郭
主郭・大岩
権現嶽城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 芹川の蛇行する地点にある標高216mの岩山に築かれている。周囲は切り立った崖や巨岩がある要害となっている。
北側の由布高校西付近からは、尖った険しい権現嶽の山容がよく目立つ。
【案内】 国道210号線より南へ芹川を渡って行った功徳院(表記番地)に駐車できる[マップコード46 009 494*44]。
庄内福禄大黒天前を通って2股に分れ、どちらからでも頂上に着くが、左へ登ると五百羅漢が祀られている。
西側に平坦地があり、「権現嶽懐古」の石碑が建てられている。最高所の主郭の中央に巨岩があり、その上に三角点がある。北側には「しあわせの鐘」がある。
【歴史】 築城時期は定かではないが、大友氏2代親秀の4男直重は権現嶽城を築き狭間氏を名乗った。以後、狭間氏代々の居城となった。
天正十四年(1586年)島津義弘の軍が豊後に侵攻し、松牟礼城、松ヶ尾城など豊後の諸城に攻め寄せた(豊薩戦争)。
島津軍に包囲され、権現嶽城は疫病などに悩まされたが、要害のため落城せず和議が結ばれたという。