緒方三郎惟栄館 (おがたさぶろうこれよしやかた) (緒方館・緒方城)
所在地 大分県豊後大野市緒方町上自在 2019.3.4
緒方三郎惟栄館 (おがたさぶろうこれよしやかた) (緒方館・緒方城)
所在地 大分県豊後大野市緒方町上自在 2019.3.4
館跡の碑・看板
館跡
鳥居
館跡の碑
緒方三郎惟栄館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 緒方川の北の平地にあり、東に支流が流れ天然の堀となっている。西側と北の堀など、遺構は見られない。
【案内】 国道502号線「三郎大橋北」交差点の西100m余の北側にある。大きな看板、案内板が建てられている[マップコード237 160 893*75]。
鳥居から入ると「緒方三郎惟栄を讃える詩」の詩碑・顕彰記念碑・説明板が建てられている。
【歴史】 寿永二年(1183年)平氏が都落ちした後、筑前国の原田種直・山鹿秀遠の軍事力によって勢力を回復すると、緒方惟栄は豊後国の国司であった藤原頼輔・頼経父子から平家追討の院宣と国宣を受け、清原氏・日田氏などの力を借りて平氏を大宰府から追い落とした。この後平氏は壇ノ浦合戦に敗れ滅亡した。
また惟栄は、源義経が源頼朝に背反した際には義経に荷担し、都を落ちた義経と共に船で九州へ渡ろうとするが、嵐のために一行は離散、惟栄は捕らえられて上野国沼田へ流罪となる。このとき義経をかくまうために築城したのが岡城とされる。
その後、惟栄は許されて豊後に戻り佐伯荘に住んだとも、途中病死したとも伝えられる。