嵐山城 (あらしやまじょう)
最寄地 京都府京都市西京区嵐山中尾下町3 2019.7.7
嵐山城 (あらしやまじょう)
最寄地 京都府京都市西京区嵐山中尾下町3 2019.7.7
登城ルート
登り口
尾根の切通し
南東尾根の 堀切
南東端の石積
主郭切岸
主郭
嵐山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高330m】
【感想】 桂川右岸の標高382mの嵐山に築かれており、東西約200mと細長く広い平坦地がある。堀切や石積が残っているが、竪堀など樹木に隠れはっきりしなかった。
主郭は北西端にあるが、標柱など見当たらず鬱蒼としており、疲労困憊して登ってきた割には失望させられた。唯一、堀切の所に小さな看板があるのが救いであった。
【案内】 阪急嵐山線「嵐山駅」の西60m付近に有料駐車場が利用できる[マップコード7 607 690*34](1日800円)。
西100m先を左へ50m行った所に「京都一周トレイル・西山26」の標識がある(地図)。
そこより1km尾根を登ると視界が開け、ベンチが置かれている。そこより切通し、岩場を通って北西へ約1km行くと、堀切がある。左へ行くと烏岳で、真っ直ぐ登ると嵐山へ向かう。
南東に土橋のある堀切があり、更に行くと石積が見られ、城域に入る。
標識など無く鬱蒼としているが、200m程行った北西端に切岸のある主郭が見られる。
【歴史】 明応六年(1497年)管領・細川政元の家臣・香西元長によって築かれたと云われる。
香西元長は山城国下郡の守護代を務めていたが、永正四年(1507年)細川政元を暗殺した。そのため細川高国や澄元らの反撃を受けて澄之の邸宅であった遊初軒での戦いで流れ矢に当り即死した。その後、嵐山城は一旦廃城となった。
その後、細川晴元は細川高国と争い、天文八年(1539年)、同十年、同十五年に嵐山城を使用したと云われる。