結城城 (ゆうきじょう) (金山城)
最寄地 長崎県雲仙市国見町土黒己1171−1 2019.12.10 2020.3.11
結城城 (ゆうきじょう) (金山城)
最寄地 長崎県雲仙市国見町土黒己1171−1 2019.12.10 2020.3.11
入口の標柱
南西の郭
主郭
十字架塔
北側の郭
東側の石垣
結城城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 雲仙市国見町土黒己の小山に築かれており、広い主郭がある。
南東側に石塔、北東側にジョルジ結城弥平次の十字架塔が祀られている。
南西側、北側、東側下段に夫々郭があり、石積も見られる。
【案内】 「雲仙グリーンロード」より南へ約750m行った表記番地先に石垣のある入口があり、標柱が立て掛けてある[マップコード325 020 734*35]。その前の道路に路駐した。
少し行った右側のフエンス内に説明板が建てられている。
【歴史】 永禄の頃、有馬氏から土豪・古賀越後は金山城・東空閑城の2城を与えられたが、天正七年(1579年)龍造氏の侵攻に遇い、一族ことごとく戦死したと、古賀氏末裔系譜に記されている。
慶長七年(1602年)にはキリシタン武士・結城弥平次が肥後愛藤寺城から有馬晴信の招聘で、知行3千石を与えられて入城し、キリスト教の布教活動が続けられた。
その後、慶長十四年(1609年)突如晴信の命を受け、マカオ船マードレ・デ・デウス号攻撃に参戦し勝利したが、晴信は慶長十七年(1612年)岡本大八事件で処刑された。
有馬直純の代になってから、キリシタン信徒一掃が激しくなり、結城弥平次も慶長十八年二月には数名の家来と共に城を去り、廃城となった。