藤北館 (ふじきたやかた)
最寄地 大分県豊後大野市大野町藤北978 2019.12.8
藤北館 (ふじきたやかた)
最寄地 大分県豊後大野市大野町藤北978 2019.12.8
登城ルート
ここから登る
館跡
館跡・祠
堀切
常忠寺
大友能直公の墓
藤北館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 豊後大野市大野町藤北の比高10m程の台地先端に築かれている。
標識などはないが、館跡は南北に細長く2段になっており、土塁や深い堀切がよく残っている。
【案内】 常忠寺の駐車場が利用できる[マップコード237 495 028*08](地図)。
北の道路を少し行くと、左側に参道のような堀がありそこを登ると館跡に着く。中央に崩れかけた祠があり、道路側に土塁が残っている。背後へ少し進むと深い堀切が見られる。
常忠寺本堂裏に大友能直(1223年11月27日没)の墓や戸次統常の墓がある。
【歴史】 大友氏初代大友能直は、建久七年(1196年)豊後の地頭職に任じられ、大野九郎泰基の反攻戦を制した後、藤北に下向したと云われ 以後、3代の居館となったという。
戸次鑑連(のち道雪)は元亀元年(1570年)藤北城を子鎮連に授けて筑前立花城へ移った。鎮連とその子統常は藤北城を守った。
天正十四年(1586年)島津氏の豊後侵攻に際し、鎧ヶ岳城主・戸次統常は一族と共に戸次河原において応戦し、討死した。統常は能直の墓側に葬られた。