広保山城 (ひろほやまじょう) (方寸峠城・岩崎谷城)
最寄地 和歌山県有田郡湯浅町湯浅2594 2018.7.14
広保山城 (ひろほやまじょう) (方寸峠城・岩崎谷城)
最寄地 和歌山県有田郡湯浅町湯浅2594 2018.7.14
登城ルート
墓地・登り口
浅い堀切
主郭・土塁
東の尾根
東の最高所
広保山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 湯浅町湯浅の標高98mに山頂にある平安時代の山城で、かなり風化しているが、平坦地と削り残した土塁が見られた。南の尾根に堀切や石積みが残っている。
【案内】 県道20号線の橋を渡って真っ直ぐ行き、表記番地手前に駐車した。住宅の間に墓地への入口がある[マップコード146 426 219*24](地図)。
先の墓地より尾根に登り北へ行く。途中に石積みや浅い堀切がある。直進すると山頂が見え、その北に掘削した平坦地と土塁がある。東に尾根を登ってゆくと最高所があるが、物見程度である。
【歴史】 築城時期は不明だが、湯浅宗重が築いた城と云われる。方寸峠城・岩崎谷城とも呼ばれ、湯浅党の起点となった。
宗重は康治二年(1143年)湯浅城を築くまでこの城を居城とし、平安時代末期、紀伊国最大の武士団を築いたという。