大畑城 (おおはたじょう)
所在地 大分県中津市大字加来855 2016.5.16
大畑城 (おおはたじょう)
所在地 大分県中津市大字加来855 2016.5.16
入口・説明板
入口横の説明板
切岸
主郭・七社宮
北側堀跡
大畑城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道10号線中津バイパス「中津市加来」交差点より左折して表記番地への道300mほど行くと、七社宮入り口がある[マップコード145 490 084*42] 。入口横に説明板が建てられている。
北側に100mほど行くと、左に麦の植えられた空堀跡(地図)が残っている。
【歴史】 加来の七社宮が鎮座する高台が大畑城跡と伝えられている。元暦元年(1184年)源義経が平家追討のために緒方三郎惟栄(これよし)に命じて築かせた豊前五城の一つで、緒方一族の加来次郎惟興(かくじろうこれおき)が城主となったと伝えられている。
以来、加来氏が代々大畑城を居城としたが、天正十五年(1587年)黒田官兵衛に豊前国6郡が与えられ、加来氏はその統治に従うことを迫られた。当時の城主加来安芸守統直(むねなお)はこれに反抗し国人一揆に加わった。
黒田官兵衛・長政父子は毛利家の援軍と共に大畑城を攻めた。三日三夜に及ぶ戦いの末150人もの城兵が討ち取られ、ついに大畑城は落城した。