堀井城 (ほりいじょう)
最寄地 兵庫県小野市河合西町42−18 2020.5.9
堀井城 (ほりいじょう)
最寄地 兵庫県小野市河合西町42−18 2020.5.9
虎口・土塁・冠木門
虎口右の堀跡
ふれあい公園
北西の土塁
北西の堀跡・土塁
堀井城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 小野市河合西町の平地にあり、東西約80m南北約100mの規模の方形城館で、外側に外郭が取り囲んでいた。
築城時の堀幅は狭く、土塁はもう少し高かったと云われる。堀は舗装されウオーキングコースとなっている。
【案内】 加古川線の踏切より細い道を西に行った表記番地手前に「ふれあい公園」駐車場が用意されている [マップコード133 155 806*21]。
堀と土塁が復元され、公園として整備されている。堀は舗装され一周することが出来る。
【歴史】 戦国時代、赤松氏の家臣堀井長満の城館跡とされている。
堀井城の南東約400mには河合城があり、堀井城は小堀城と共に河合城の支城であった。
河合城は嘉吉元年(1441年)赤松満祐が将軍足利義教を殺害した「嘉吉の乱」の際、将軍の首を持ち帰った城として知られている。
明治時代には加古川線(発足当時は播州鉄道)の発起人で、貴族院議員を務めた斯波與七郎氏が居住したことから、地元では「斯波屋敷」とも呼ばれている。