大別当城 (だいべっとうじょう)
最寄地 岡山県勝田郡奈義町高円591−1 2019.4.13
大別当城 (だいべっとうじょう)
最寄地 岡山県勝田郡奈義町高円591−1 2019.4.13
登城ルート
登り口・碑
北の郭
北の郭南尾根の堀切
虎口土塁
石積・四阿・説明板
南の段郭
大別当城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 奈義町高円と関本の境にある標高591mの大別当山に築かれている。
南北に伸びた山頂尾根に3つの主要郭と北の腰郭、南の段郭から構成され土塁や堀切が残っている。
遊歩道整備で堀切は鈍っており、遊歩道の東側の郭は草木で覆われている。
【案内】 国道53号線より那岐山方面へ向かい「那岐山麓山の駅」(表記番地)を過ぎ「那岐山登山口第1駐車場」先を、馬桑川を渡り約500m行った所に入口碑が建てられている[マップコード390 218 684*54](地図)。その手前の左側が広く駐車できる。
少し登った吊橋の手前に案内板が建てられている。吊橋を渡って北東に約900m登ると八巻城がある。
吊橋の反対の階段を登ると城域に入り、南に伸びる尾根に細長い郭が2つあり、浅い堀切がある。さらに300m程行くと堀切があり、虎口の土塁を備えた南の郭がある。
主郭には四阿、説明板が建てられ、石積があり、南西に段郭が見られる。城跡には南麓の「山の駅」からも登れる(比高200m約1.5km)。
【歴史】 嘉保年間(1095~97年)頃、菅原道真の7代目知頼が美作国へ来往し、美作菅家の祖となった。
知頼の曾孫・仲頼が大別当城を築いたと云われる。仲頼三男満佐には七人の子があり、夫々有元・広戸・福光・植月・原田・鷹取・江見を名乗り、菅家七流となった。有元氏が大別当城を居城とした。
建武三年(1336年)新田義貞が後醍醐天皇に離反した足利尊氏討伐の兵を挙げたとき、尊氏方の赤松氏に従った。
その後、有元氏が城主として続き、戦国時代には宇喜多氏に従った。慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後宇喜多氏が改易されると有元氏は帰農し、庄屋になったという。