鷹取城 (たかとりじょう) (染土城) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市龍門102 2016.5.12
鷹取城 (たかとりじょう) (染土城) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市龍門102 2016.5.12
登城ルート(緑線は車道)
県道横の道標・左に下った先に登り口
登り口・説明板
説明板
段郭
主郭・城趾碑
鷹取城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道133号線に「鷹取城跡←」の碑があり、そこより表記番地に向かう道路を50mほど下ると、右側に登り口があり、説明板が建てられている[マップコード 175 386 066*08 ](地図)。
県道を見下ろしながら登ってゆくと、段郭があり最高所に主郭がある。「鷹取城趾」の石碑があり、三角点がある。シダが一面に茂っている。
昭和四十一年(1966年)菊池市の指定文化財(史跡)となった。
【歴史】 別名を染土城といい、鎮西八郎為朝がこの地で鷹を射てとったことからこの名がついたと伝説があり、説明板の北側に「源為朝公」の供養碑が建っている。
初代の城主は、原田五郎で代々原田氏の居城となっており、豊後勢の来襲に備えた重要な城であった。
南北朝時代、天授、弘和(1375~84年)の頃、17代菊地武朝の時に後村上天皇の皇子で、後征西将軍宮良成親王が一時御在所された城でもあた。
弘和元年(1381年)六月、九州探題今川了俊軍との戦いでは、菊地本城の後方防衛の城にもなり、北の筑後方面との連絡もできる地に在った。しかし、本城と共に陥落した。『菊池ロータリークラブ説明板』より。