伊万里城 (いまりじょう)
最寄地 佐賀県伊万里市松島町148 2017.5.12
伊万里城 (いまりじょう)
最寄地 佐賀県伊万里市松島町148 2017.5.12
圓通禪寺手前を左に登る
階段・説明板
説明板
主郭
主郭
東側腰郭
伊万里城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 比高約30mの伊万里城山公園となり、遺構はほとんど見られない。南北約270m東西約130mの広さがあり、東側に腰郭がある。
【案内】 圓通禪寺(表記番地)前の道路は広く、保育園前に短時間駐車できる[マップコード104 660 778*35] 。
圓通禪寺と伊万里保育園の間の道を登って行くと、頂上手前に説明板が建てられており、城跡は伊万里城山公園として整備されている。
【歴史】 鎌倉時代初期、松浦党の伊万里氏の祖・峯上(みねのぼる)が築城した。
正中二年(1325年)頃の伊万里氏は、伊万里浦、福島、波多津浦、田平町蒲田浦などを所領とし五島の海夫集団を掌握した松浦党の有力家であった。
天正四年(1576年)伊万里兵部大輔治(おさむ)のとき、龍造寺隆信に攻められ、伊万里城は落城した。北東側の一角に「鶴亀城由縁之霊」と刻まれた石碑があり、このときの戦死者の供養碑と考えられている。
明治以降、城山は公園となったが、第二次大戦中は対空監視哨が置かれた。