比志島城 (ひしじまじょう)
最寄地 鹿児島県鹿児島市皆与志町3577 2018.12.13
比志島城 (ひしじまじょう)
最寄地 鹿児島県鹿児島市皆与志町3577 2018.12.13
登城ルート
入口(右へ)
堀切・堀底道
4郭・切岸
2郭
主郭
主郭南の高土塁
比志島城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 鹿児島市皆与志町の標高約185mの北に伸びたシラス台地にある。
南北に通じる堀底道の両側に階段状に竹林となった郭があり、南端の主郭に高土塁がよく残っている。2郭は割と開けているが、他は鬱蒼としている。
【案内】 中公民館の東の表記番地前より南50mの橋を渡ってすぐ右に細い道がある(地図) 。少し先が広くなり駐車できる[マップコード42 303 085*11]。
約100m行き民家との分岐道を左へ行くと、間もなく堀切があり、堀底道が南へ続いている。
右側に垂直に切り立った4郭の崖があり、その南に3郭がある。堀底道を挟んで斜め左向かいに2郭がある。堀底道の終点より広い主郭があり南側に高土塁が残っている。
【歴史】 信濃国守護・志田頼重は頼朝により薩摩へ流され、島津忠久の庇護を受けて比志島に住んだ。
頼重は満家院郡司孫大夫永平の女を娶り、子の重賢が、後を継ぎ満家氏を名乗ったという。 そして、寛元年間(1243~47年)築城したと云われる。
満家重賢の子祐範は比志島氏を名乗り、比志島氏の初代となった。時範・忠範と続いた。
天正十五年(1587年)比志島13代義基の時、島津氏が伊東氏に勝利し、日向国曽井に移ったという。