玉巻城 (たまきじょう) (久下城)
最寄地 兵庫県丹波市山南町玉巻251 2018.8.8
玉巻城 (たまきじょう) (久下城)
最寄地 兵庫県丹波市山南町玉巻251 2018.8.8
登城ルート
久下氏五輪塔手前から左へ登る
南の郭
堀切(南の郭へ振り返える)
北の郭
玉巻城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高140m】
【感想】 福知山線「谷川駅」北西の標高241mの八幡山山頂に築かれている。目立った遺構は少なく、南曲輪の北に唯一堀切が残っている程度であった。
【案内】 県道86号線の福知山線踏切先に「玉巻城跡」の標識が建てられており、右折し工場の前の線路脇に駐車できる[マップコード133 891 720*16]。
北に橋を渡って行くと、長慶院(表記番地)がありここにも駐車できる。庫裡西側の墓地へ登り、五輪塔の手前から左に5m程藪を登ると視界が開ける。尾根は植林され草も少なく、登りやすい。
右側の尾根鞍部を目指し登って尾根に出、左に登ってゆくと南の曲輪に着く。その北に堀切が残っている。なだらかな馬場跡が続き、その先に北の曲輪がある。
【歴史】 承久三年(1221年)久下直高が関東から移り住み、14世紀前半、その4代後の弥三郎時重が築城したといわれる。
5代時重から10代重国の頃に最盛期を迎えた。天正三年(1575年)織田信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めが始まった。13代重治は黒井城の赤井氏に従い、抵抗した。
天正七年(1579年)明智方の丹羽長秀の軍に攻められ落城、重治は自刃した。