西方城 (にしがたじょう) (西潟塁・西潟城)
所在地 徳島県阿南市長生町西方 2017.9.21
西方城 (にしがたじょう) (西潟塁・西潟城)
所在地 徳島県阿南市長生町西方 2017.9.21
登城ルート(緑線は車道)
登り口
北側帯郭・展望台
主郭
主郭・土塁
南西帯郭
西方城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 岡川右岸の標高116.5mの山頂にあり、帯郭を伴った単郭の城である。主郭の南東側に低い土塁が残っている。
【案内】 県道24号線との県道22号線の「上中町」交差点を南へ約260m行った信号交差点を右折、約100m先の右の橋を渡った所に「日亜化学」駐車場が利用できる[マップコード217 614 588*66]。
駐車場より岡川沿いの市道を200mほど西へ行くと、「西方山登龍門」の標識の登り口がある(地図)。
頂上まで木道が整備され、展望台があり説明板が建てられている。背後に少し登ると、竹林となった主郭、南側下段に帯郭がある。
【歴史】 築城年代は不明であるが、永禄年間(1558~70年)に東条紀伊守によって築城されたと云われる。東条紀伊守は桑野城城主東条関之兵衛の伯父である。
天正年間(1573~92年)に東条氏が長宗我部氏に降ってから、三好氏に属する牛岐城城主新開道善に対峙するため、東条関之兵衛が西方城の城主になったと考えられる。新開道善が長宗我部に降るまで前進基地として使用された。
天正十年(1582年)に長宗我部元親の阿波平定以後、東条関之兵衛は木津城城主となった。
天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の四国攻めの際に戦わずに関之兵衛は土佐へ逃亡した。その後、阿波公方家の隠居所としても使用されていた。
なお、関之兵衛とその弟・東条唯右衛門は元親によって処刑された。