松ヶ尾城 (まつがおじょう)
所在地 大分県由布市庄内町東大津留 2019.5.4
松ヶ尾城 (まつがおじょう)
所在地 大分県由布市庄内町東大津留 2019.5.4
登城ルート(緑線は車道)
配水池右を直進
分岐を右へ
大堀切
主郭・土塁・城跡碑
主郭・城跡碑・歴代城主碑
松ヶ尾城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m(県道入口より)】
【感想】 由布市庄内町東大津留の北から南へ伸びる標高320mの丘陵南端部に築かれている。広い主郭と削り残した台地があり北に大堀切が残っている。
【案内】 県道52号線の十合谷川に架かるアーチ橋「松ヶ尾大橋」を渡って約200m北に行った「大津留小学校前」バス停先に、「←松ヶ尾城入口」の石碑が建てられている[マップコード46 158 096*27]。
そこより約750m行った北側の入口に「松ヶ尾城入口」の石碑が建てられている[マップコード46 157 625*83](地図)。この付近は、改修工事で道路が新しくなっている。
そこより南に少し行くと、左側に配水池への道との分岐があり、反対側の廃屋の手前に駐車スペースがある。
その先は道が狭くなっており、約200m直進し南下すると、フエンス扉があり更に100m程行くと、左側に大堀切が見られる。
その先に広い主郭があり、城跡碑(平成二年建之)、歴代城主碑が建てられている。堀切と主郭の間は削り残した台地になっている。
【歴史】 大津留二郎常陸守吉隆(延長二年924年没72歳)が大津留松ヶ尾城を築いて初代となった。その後、大津留氏代々の居城となった。
26代三郎越前守惟貫(建久九年1198年没43歳)の時、源頼朝頼富士の裾野で「清光の茶台」「馬印」を戴いた。
32代三郎安房守惟祐(正応元年1288年没39歳)の時、大友氏の旗下となり宿老を務めた。
52代民部少輔鎮増の時、豊薩戦争が起き、天正十四年(1586年)十二月、鎮増は大友義統と共に豊前龍王城に居た時、その留守を島津義弘軍に攻められ松ヶ尾城は落城した。
53代孫七郎統綱の時、文禄二年(1594年)豊臣秀吉による大友氏の改易で大津留氏も滅亡した。