小浪城 (こなみじょう) (小波城)
最寄地 鳥取県米子市淀江町小波162−2 2018.8.11
小浪城 (こなみじょう) (小波城)
最寄地 鳥取県米子市淀江町小波162−2 2018.8.11
山陰道(淀江14トンネル)
入口
虎口
主曲輪
西側の堀跡のような低地
小浪城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 米子市淀江町小波の東に伸びた標高11mの舌状台地先端部にある。
西側の鉄塔の見える畑との間に、堀跡と思われる一段低くなった帯状の低地がある。
【案内】 鳥取ダイハツ販売(株) 淀江総合サービスセンター(表記番地)前の市を南東へ約400m行った所に北に入る農道がある[マップコード252 665 123*84](地図)。山陰道「淀江14」トンネルの西側に位置する。
S字の道を行くと間もなく虎口のような入口があり、小屋の建つ広い平坦地がある。周囲は高くなっているが、藪が鬱蒼と茂っている。
【歴史】 元弘三年(1333年)、名和長年は後醍醐天皇の隠岐島脱出を助け、船上山に立てこもった。隠岐国守護の佐々木清高は追撃のため小浪城に入り、出雲国、伯耆国、因幡国の軍勢をまとめ、天皇方のこもる船上山を攻めた。しかし、船上山を落すことはできず、清高は再び当城に入った。
天皇方は信貞、行氏らに小浪城を攻めさせた。 夜半になり、名和長年らは、小浪城の四方八方から松明を投げ入れ、佐々木清高らを追い落とした。
清高父子は、航路、隠岐国に逃れ、出雲国から若狭国、越前国へ落ち延びたという。