栗野城 (くりのじょう) (松尾城) (町の史跡)
最寄地 鹿児島県姶良郡湧水町木場1036 2018.12.11
栗野城 (くりのじょう) (松尾城) (町の史跡)
最寄地 鹿児島県姶良郡湧水町木場1036 2018.12.11
登城ルート(緑線は車道)
代官所堀
本丸石垣
本丸・礎石
二の丸入口
二の丸
島津久四郎・松下源次郎の墓
栗野城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 川内川左岸の標高249mの丘陵に築かれた7つほどの郭から構成された複郭式の平山城である。
城山公園として整備され、模擬門が建てられ、義弘公が築いたと云われる野面積の石垣が残されている。
【案内】 国道268号線「栗野清水」交差点より南に行った「心光保育園」(表記番地)手前の道路より、一方通行の道を進むと城山公園駐車場がある[マップコード376 433 182*64]]。
模擬大手門や説明板が建てられ、本丸、二の丸が見学できる。本丸には山裾の石垣、枡形虎口付近の石垣が残っている。また、礎石が残り城址碑が建てられている。
堀で隔てられた二の丸は、広い公園となっている。また駐車場より北に下る一方通行路は空堀である。
「心光保育園」の東の墓地の奥に島津久四郎・松下源次郎の墓がある(地図)。
島津久四郎は島津義弘の5男で義弘が朝鮮に出陣していた文禄四年(1595年)14歳で病死した。その後を追って、お側小姓・松下源次郎が15歳で自刃した。
昭和五十四年(1979年)7月18日、湧水町の史跡に指定された。
【歴史】 もともと真幸院(まさきいん)の在地領主・北原氏の居城であった。
天正十八年(1590年)より文禄四年(1595年)までの5年間、島津義弘が在城した。
義弘は朝鮮の役にはここから出陣し、帰国後文禄四年(1595年)に帖佐館を築いて移り、川上三河守を城代とした。