鶴亀城 (つるかめじょう) (神代城)(こうじろじょう)
所在地 長崎県雲仙市国見町神代丙179 2014.9.4 2019.12.10
鶴亀城 (つるかめじょう) (神代城)(こうじろじょう)
所在地 長崎県雲仙市国見町神代丙179 2014.9.4 2019.12.10
本丸二の丸間の堀
本丸跡・神代神社
本丸東側土塁
二の丸跡・土塁
二の丸東上段・土塁
武家屋敷
鶴亀城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 稲荷神社(表記番地)及び神代(こうじろ)神社が本丸跡に建立されている[マップコード325 107 816*02]。本丸の東側に高土塁が残っている。
現在道路となっている空堀の北に、二の丸(地図)、三の丸跡があり、空地、畑となっている。石積のある東上段に土塁が残っている。
城跡の東側に武家屋敷、その北側に旧鍋島家長屋門・住宅がある。東西350m南北450mに及ぶ大きな海城跡である。
【歴史】 南北朝時代、神代貴益により築城されたとされる。以後、戦国時代末期まで神代氏の居城であった。
天正十二年(1584年)五里離れた沖田畷(なわて)の戦いのときには龍造寺隆信軍の本陣となり、有馬晴信・島津家久連合軍と戦ったが、敗れ龍造寺隆信は討死した。
豊臣秀吉の天下統一後の九州国分けでは、鶴亀城を含む神代地区は佐賀鍋島氏の支藩に割り当てられた。
江戸時代初期、鶴亀城の整備が行われたが、慶長二十年(1615年)の一国一城令により取り壊され、廃城となった。