龍野城 (たつのじょう) (霞城)
所在地 兵庫県たつの市龍野町上霞町128‐3 2014.5.1 2017.5.14
龍野城 (たつのじょう) (霞城)
所在地 兵庫県たつの市龍野町上霞町128‐3 2014.5.1 2017.5.14
隅櫓・錣坂
埋門
龍野高等女学校跡碑
本丸御殿
浄栄寺山門
因念寺山門
龍野城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 龍野城の東に「市立龍野歴史文化資料館」(表記番地)があり、その南に櫓が復元されている。石垣のみが残っているが、本丸御殿、武具櫓、隅櫓(模擬)、埋門が再建されている。
現在の本丸御殿は昭和五十四年(1979年)に再建されたものである。また、家老門(龍野町上霞城30-3)が現存している:家老屋敷門(脇坂久五郎の屋敷)。
この他、以下の移築門が市内の寺に現存している。
浄栄寺(たつの市揖保川町正條541)の山門:明治七年に移築された東門で一名すかし門と呼ばれ、閉門後も窓から監視できる。
因念寺(たつの市揖保川町野田293)の山門:明治十二年八月大手門で鬼瓦に脇坂家の紋「輪違い」が入っている。
光遍寺(たつの市揖保町中臣325)の山門:どの門かは定かではない。
蓮光寺(揖保郡太子町常全204)の山門;元和三年から寛永三年の間に建造された錣坂(しころざか)門が明治初期に移築。
北の標高218m比高約170mの鶏籠山頂上に、寛文十二年(1672年)まで使用された龍野古城(地図)がある。
【歴史】 明応八年(1499年)に塩屋城の龍野赤松氏・赤松村秀が龍野に鶏籠山城を築いた。
以後政秀、広貞、広秀と続いたが、天正五年(1577年)に羽柴秀吉によって開城し、秀吉は四年後あらたに蜂須賀正勝(小六)に龍野5万3千石を与えた。
正勝は天正十三年(1585年)まで城主であったが、天正十四年死去した。その後の城主は、福島正則(天正十三~十五年) 、木下勝俊(天正十五~文禄三年・1587~94年)、小出吉政(文禄三~四年・1594~95年) 、その後豊臣政権蔵入地となり石川光元が城番(文禄四年から慶長五年・1595年から1600年)となった。
その後〈池田氏三代〉輝政、利隆、光政(城代・荒尾成房、池田長明)(慶長五年~元和三年・1600~17年)が治めた。
そののちは本多政朝(元和三年~寛永三年・1617~26年)、小笠原長次(寛永三年~寛永九年・1626~32年)、岡部宣勝(寛永十年~寛永十三年・1633年~36年)、京極高和(寛永十四年~万治元年・1637年~58年)と続いた。
万治元年(1658年)京極高和の丸亀城移転の際に破却された。
14年後の寛文十二年(1672年)に城主となった脇坂家十代・脇坂安政によって龍野城が再建された。
この際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になった。十九代安斐の時、明治維新を迎え、明治六年(1873年)の廃城令で廃城となった。