河合城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 加古川とJR加古川線の中間に位置し、東西約400m南北約300mの大きな規模であったが、圃場整備で消滅している。
主郭は源氏屋敷と呼ばれ、土塁と堀を巡らし、その東西に2つの郭があったという。現在は住宅地となっている。
【案内】 小野市新部町の表記番地西側の道路脇に石碑が建てられている[マップコード133 156 455*04]。
【歴史】 室町時代、播磨国守護・赤松氏の東播磨の拠点として築城され、一族の上月氏が居城とした。
嘉吉元年(1441年)赤松満祐が将軍足利義教を殺害した「嘉吉の乱」の際、将軍の首を持ち帰った城として知られている。
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