豊前国府跡 (ぶぜんこくふあと)
所在地 福岡県京都郡みやこ町国作 2016.5.17
豊前国府跡 (ぶぜんこくふあと)
所在地 福岡県京都郡みやこ町国作 2016.5.17
国府跡看板
中門跡
正殿跡
配置図
豊前国府跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道58号線交差点に「←豊前国府跡公園」標識が信号の高さに建てられている。南に100mほど行くと、公園駐車場が用意されている[マップコード96 658 792*25] 。
中門跡、東脇殿跡は建物柱位置を展示し、正殿跡、西脇殿跡などの前に説明板が建てられている。
【歴史】 奈良時代に中央集権的な国家体制が整えられ、各地に国府が置かれたが、九州には、豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後・日向・薩摩・大隅の9国と壱岐・対馬・多褹(たね)の3島で構成され、これらを統括する機関として大宰府が置かれた。
国府には中央政府から国司が派遣され、国司は租・庸・調などの税の徴収や国内政治に当るほか、軍団を統括する軍事的権限が与えられていた。
みやこ町周辺は、弥生・古墳時代以降、近畿地方と九州を結ぶ窓口として栄えていた。
中でも豊津地区は古墳時代末に、九州最大規模の墳丘をもつ甲塚方墳や数多くの古墳が築造されるなど、豊前地方における政治的中心地として発展し、8世紀中ごろ豊前国府・国分寺が築かれた。