阿久根城 (あくねじょう)
最寄地 鹿児島県阿久根市山下6821 2018.12.11 2019.3.5
阿久根城 (あくねじょう)
最寄地 鹿児島県阿久根市山下6821 2018.12.11 2019.3.5
登城ルート(緑線は車道)
林道入口
林道分岐の城山の標柱
ドコモ阿久根山下基地局
ドコモ阿久根山下基地局南側の堀
林道最高所(左へ)
南側台地から林道を見る
南側の平坦地・石
阿久根城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 阿久根市山下にある愛宕山から北に伸びる標高160mの丘陵にあると云われる。
林道分岐点に森林環境事業の「山下 城山地内」の標柱が建てられており、付近が阿久根城であったことが分かる。
北側のドコモ阿久根山下基地局の南側に堀跡が2条ほど見られた。
林道の最高所から東側に行ってみたが、目立った遺構もなく広く平坦な杉林となっており、何か分からないが、多数の石か散乱していた。愛宕山に続く尾根に堀らしい谷が竹林の中に見られた。
【案内】 県道345号線の表記番地南より林道入口がある[マップコード299 056 088*46]。
舗装された林道を約1km行くと、尾根頂上に着き左手に登ると、城跡らしい平坦地が見られた[マップコード299 026 264*88]。
少し戻った北側に分岐道がある[マップコード299 026 592*75]。登ってゆくとドコモ阿久根山下基地局があり、南側に堀跡が見られた。
【歴史】 阿久根氏(莫禰氏)は、平安末の天治元年(1124年)~文禄二年(1593年)の間、阿久根地方の領主として君臨し治めた最も古い豪族である。
神崎成道は進んで鎌倉幕府の御家人となり、改めて高江・莫祢の領主となった。その成道の子が神崎太郎成兼である。
享徳二年(1453年)島津忠国の子用久が薩州島津家の初代となると、莫禰氏は、阿久根氏と改め、島津氏の家臣となったとされる。
14代の阿久根良照まで代々薩州島津家の家老職を世襲したが、薩州島津家の断絶に殉じて阿久根氏も永年治めていた阿久根の地を去ることになった。 末裔は山崎と姓を変え、大隅に移住した。