川之江城 (かわのえじょう) (仏殿城)
所在地 愛媛県四国中央市川之江町1087-4 2014.5.16
川之江城 (かわのえじょう) (仏殿城)
所在地 愛媛県四国中央市川之江町1087-4 2014.5.16
南南東遠景
復元櫓門
櫓門・虎口石垣
模擬天守(北面)
模擬天守(南面)
川之江城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【案内・感想】 城跡は標高62mの鷲尾山(城山)にあり、城山公園として、日中開放されている。川之江運動場東の「城山公園駐車場」が用意されている[マップコード207 608 880*01](地図)。
城跡南側の一方通行の道路上の橋を渡って、比高差約40mを徒歩で登る。
昭和時代には本丸付近の石垣に、僅かの名残りを留めるに過ぎなかったが、川之江市制施行三十周年記念事業として、昭和五十九年(1984年)から城山公園整備事業として、本丸跡に天守(表記番地)、涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀などが建築された。そのため、必ずしも史実通りに再現してはいない。
【歴史】 南北朝時代、南朝方の武将であった河野氏の砦の一つとして、土肥義昌が南朝建武四年(1337年)に川之江城を築いた。
康永元年・興国三年(1342年)細川頼春が仏殿城を攻めた。
その後戦国時代には城主は妻鳥友春になっていたが、河野氏に背いて土佐の長宗我部氏へ通じたため、河野氏配下の河上安勝によって攻められ、落城した。
天正十三年(1585年)に小早川隆景によって攻められ、落城した。
豊臣秀吉の四国平定以後は、川之江地方は小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が変わったが、加藤嘉明の時代に川之江城は廃城になった。
一柳直家が寛永十三年(1636年)に川之江藩を立藩し、城を再築しようとしたが寛永十九年(1642年)に死亡し領地は没収され、以後天領になったため、再築されなかった。