明見山城 (みょうけんやまじょう) (妙見山城)
所在地 岡山県岡山市北区三野本町 2021.2.12
明見山城 (みょうけんやまじょう) (妙見山城)
所在地 岡山県岡山市北区三野本町 2021.2.12
登城ルート
天神社一の鳥居
天神社
天神社背後の土塁
三野公園の北側の段
三野公園
明見山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高50m】
【感想】 船山城の南西約2kmに位置し、旭川右岸の標高59.1mの三野公園が2郭、北の天神社が主郭で、天神社背後に土塁が残っている。
三野公園の西側に帯郭、段郭が見られるがあまり明瞭ではない。
【案内】 県道27号線「三野公園前」交差点から北に遊歩道が設けられているが、駐車スペースは少ない[マップコード275 083 750*51]。
天神社一の鳥居前は広いが、そこへに行く道も極端に狭く、遠くに停め徒歩がよい。
北山頂の天神社が主郭で、南の三野公園が2郭とされている。
【歴史】 天文年間(1532~55年)には船山城主・須々木豊前守の子四郎兵衛が城主であった。備中松山城主・三村氏の勢力下にあった。
永禄十年(1567年)の明禅寺合戦が起き、備前の宇喜多直家は備中の三村元親に勝利し、翌年直家の家臣・戸川秀安により船山城は破却された。
出城であった須々木四郎兵衛の居城・明見山城(現三野公園)も破却された。
須々木四郎兵衛は宇喜多直家・秀家に仕え、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、御野郡原(現岡山市北区原)に帰農した。