笹倉城 (ささくらじょう) (殿原城)
所在地 兵庫県加西市笹倉町178 2021.2.10
笹倉城 (ささくらじょう) (殿原城)
所在地 兵庫県加西市笹倉町178 2021.2.10
登城ルート
北東入口階段
民家
竪堀
東側横堀
主郭・古墳
笹倉城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 万願寺川右岸の低丘陵に築かれており、主郭の中央に古墳があり、東から南に逆Ⅼ字形の横堀がよく残っている。
虎口の横に神社が祀られ、その北から東に向けて竪堀が残っている。東側の民家も城跡と思われる。
【案内】 中国自動車道「加西IC」より万願寺川を渡り、表記番地北東側道路に駐車出来、階段がある[マップコード24 658 646*87](地図)。
民家北を西に行くと、竪堀と虎口が見えている。
【歴史】 観応二年(1351年)二月、足利尊氏と足利義直が戦った光明寺合戦の際、黒崎山城主・赤松朝範は尊氏に味方し、その恩賞として加西郡在田荘を与えられ、笹倉城を築き、在田(有田)氏を名乗った。
二代在田則康は早世した為、赤松祐利が城主となり、笹倉氏を称して代々続いた。
天正六年(1578年)5代笹倉則賢は別所長治に与し籠城したが、天正八年(1580年)一月の三木城開城の際に自刃した。
笹倉則賢の子・則知は近江国長浜へ逃れ隠棲し没したが、その子・笹倉平左衛門のときに帰郷して、城跡の一隅に屋敷を構え、長浜氏と改めたという。