羽床城 (はゆかじょう)
最寄地 香川県綾歌郡綾川町羽床下545 2017.12.13
羽床城 (はゆかじょう)
最寄地 香川県綾歌郡綾川町羽床下545 2017.12.13
登城ルート
二ノ丸入口・城趾碑
説明板
二の丸・土塁
羽床大明神・城址碑
本丸・奥に配水施設
石積井戸
羽床城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高25m】
【感想】 羽床集落の比高約25mの丘陵にあり、本丸、二の丸に土塁がよく残っている。
【案内】 本法寺(表記番地)に向かう少し手前に案内標識があり路肩に駐車できる[マップコード 228 784 888*87](地図)。
民家手前を左に登ると帯郭に出、その上が土塁の残る本丸となっている。北に虎口があり、二の丸に通じ北西隅に羽床大明神が祀られ「羽床城址碑」が建てられている。
北に下ると、城址碑があり、墓地のある小郭がある。さらに北に下って行くと、水の手郭に石積井戸が残されている(外側は養生枠)。
【歴史】 讃州藤家の祖である中御門中納言藤原家成の孫・資高が治承年間(1177~81年)羽床庄の庄司となり、地名の羽床を名乗り、その子重高が羽床城を築城したと伝えられている。
天正七年(1579年)夏、長宗我部元親の率いる大軍に攻められたが、伊豆守資載、大林高貞はこれを凌ぎ、和議を結んだ。その後、天霧城主香川信景の説得で長宗我部元親に従った。
豊臣秀吉の島津征伐で、弥三郎資吉が長宗我部軍の先鋒を担い天正十四年(1586年)十二月、豊後国戸次川の合戦で長宗我部信親、十河存保らとともに討死し、羽床氏の嫡流は断絶、羽床城も廃城となった。