瀬田城 (せたじょう)
所在地 山口県岩国市玖珂町瀬田1400 2019.12.7
瀬田城 (せたじょう)
所在地 山口県岩国市玖珂町瀬田1400 2019.12.7
削り残し部・祠
祠
西側の削り残し部
瀬田城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 交益会館(葬儀場)敷地となり遺構は消滅している。地理院地図では標高64m(比高14m)ほどの小山が記されており、建設工事の際に削平されたと思われる。
祠のあった部分だけ保存されている。西側の墓地のある島田川付近も南北に残されている。
【案内】 県道115号線に面した交益会館(表記番地)敷地となり、駐車場の入口付近に削り残した台地があり、祠が祀られている[マップコード115 550 604*31]。
【歴史】 築城年代は明らかではないが、安芸国小方(現大竹氏)の土豪小方氏が岩国に勢力を伸ばし、瀬田城を築いたとされる。 瀬田城主小方氏は大内氏に属していた。
弘治元年(1555年)陶晴賢が厳島の戦いで討死し、同年より毛利元就が周防・長門国への侵攻を開始した(防長経略)。
蓮華山城主椙杜隆康、鞍掛山城主杉隆泰、瀬田城主小方元康も毛利氏に降ったが、蓮華山城の椙杜隆康により、杉隆泰は大内義長に内通しているとの讒言を受け、毛利氏に攻められ鞍掛山合戦となった。この戦いで小方元康は杉隆泰を討ち取った。