積善寺城 (しゃくぜんじじょう)
所在地 大阪府貝塚市橋本121 2022.3.17
積善寺城 (しゃくぜんじじょう)
所在地 大阪府貝塚市橋本121 2022.3.17
説明板
近木川・説明板
明教寺
寺池
積善寺城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 遺構はなく、本丸跡は明教寺(表記番地)付近といわれている。北側に近木川が流れ、南側には寺池などがある。
「貝塚中央病院」(貝塚市橋本1000)前の一方通行の近木川に架かる橋の北側に積善寺城の説明板が建てられている[マップコード106 643 176*67](地図)。
【歴史】 永禄元年(1558年)根来衆が岸和田の三好氏と戦った際、その砦として築かれた。その後、畠中城や千石堀城などと共に根来衆の出城として整備された。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉は岸和田城に入り、「紀州征伐」に乗り出しが、その際、出原右京を大将として総勢約9500人が籠城した。秀吉方の攻撃にも落城せず、卜半斎了珍を仲介により、開城した。