一ツ戸城 (ひとつどじょう)
最寄地 大分県中津市耶馬溪町大字宮園995 2015.5.13
一ツ戸城 (ひとつどじょう)
最寄地 大分県中津市耶馬溪町大字宮園995 2015.5.13
登城ルート
林道よりの登り口
腰曲輪
虎口・石垣
本丸・土塁
本丸石垣
一ツ戸城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高180m】
【案内・感想】 国道212号線(日田往還)の宮園集落の西端に「大神宮」の 石垣があり、その前に説明板が建てられている(地図)。
獣除け扉のある林道を北に約550m行くと「一ツ戸城跡」登り口があり、路肩駐車できる[マップコード383 023 649*24](地図)。
西に急な道を登って尾根に出、そこより南に行く。一旦下ってしばらく行き反時計方向に登ると、腰郭があり石垣の残る本丸に着く。
比高約180mの城山頂上(標高364.4m)にあり、虎口の石段や石垣が残り、腰郭に石が散乱している。
中津市の史跡に指定されている。
【歴史】 建久三年(1192年)友杉民部によって築城されたと云われ、友杉氏は後に中間氏、大江氏、一戸氏と称した。
天正十五年(1587年)豊富秀吉の九州平定後、黒田官兵衛が豊前国に入ると、城主中間統胤(むねたね)はこれに従い、官兵衛は一ツ戸城を黒田の出城とし、統胤に黒田の姓を与えてそのまま城番とした。
黒田氏の後、細川忠興の出城となり、慶長二十年(1615年)幕府が発した一国一城令で廃城、破却された。『中津市教育委員会説明板』より。