淡輪城 (たんのわじょう) (淡輪邸)
所在地 大阪府泉南郡岬町淡輪4717 2018.7.14
淡輪城 (たんのわじょう) (淡輪邸)
所在地 大阪府泉南郡岬町淡輪4717 2018.7.14
土塁先端・説明板
説明板
西側土塁
邸跡・資材置き場
南西側土塁・社
「淡輪邸址」の石碑
淡輪城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 岬町淡輪の住宅地の中に土塁が残っており、邸跡は土塁の東側に位置し、敷地面積は約1500㎡であったという(約40m四方)。土塁上面は風化し凸凹しており、アパート東の該当地は資材置場になっている。
【案内】 南海本線「淡輪駅」前道路と府道259号線の交差点より西へ150mほど行った西林寺駐車場を拝借した[マップコード35 576 402*17]。
その西の使われていないアパートの西に土塁先端があり、説明板が建てられている。
アパートの西から南にL字形の土塁が残り、南側土塁上に社、「淡輪邸址」の石碑が建てられている。
【歴史】 元久年間(1204~6年)頃、この地の地頭となった佐藤忠信の子小治郎重治が居住し、淡輪氏を名乗った。
戦国時代、淡輪徹斎の娘「おこよ」は豊臣秀次の妾となって小督(ここ)の局と呼ばれたが、秀次の死に連座して三条河原で斬首された。
また徹斎の次男六郎兵衛重政は慶長二十年(1615年)四月二十九日、大阪夏の陣の前哨戦「樫井川の合戦」で塙(ばん)団右衛門と共に討死した。『現地説明板』より(一部訂正追加)。