有福城 (ありふくじょう) (竹内城) (県の史跡)
最寄地 広島県府中市上下町有福175 2017.5.13
有福城 (ありふくじょう) (竹内城) (県の史跡)
最寄地 広島県府中市上下町有福175 2017.5.13
登城ルート
標識・遠景
民家左を進む
西側の段郭
腰郭・主郭切岸
主郭
有福城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 上下(じょうげ)町有福の標高525mの山頂に南北に細長い主郭がある。
当初、登り口が判らず、作業道を行きすぎ不明となった。民家の方が居られたので、登り口まで親切に案内していただいた(感謝)。
隈笹をかき分けると、1mほどの沢があり、少し先から道が見えた。道は放置され、多少倒木などもあるが、はっきりとしている。
主郭の大半は草木で覆われ、三角点付近が刈られ測量棒が立っていた。北西側に虎口がありその下に腰郭、段郭がある。
【案内】 国道432号線の表記番地入口先に駐車スペースがある[マップコード267 178 321*43]。
戻って、民家へ行く道に標識、説明板が建てられている。民家左より少し登ると、作業道に出、30m行った左の沢に登り口がある(地図)。青い紐が榊に括りつけてある(標柱など欲しいところだ)。
主郭までジグザグの道が付いている。
昭和十六年(1941年)3月10日、広島県の史跡に指定された。
【歴史】 有福庄は京都の賀茂別雷(かもわけいかづち)社の荘園で鎌倉時代の初めには、備後の守護土肥実平が守護所を置いたとみられるところである。
足利尊氏が室町幕府を開いた延元元年(1336年)六月、青目寺別当弁房や小早川掃部助高平らと共に挙兵した備後国南朝方の中心人物・竹内弥次郎兼幸が拠った山城である。
兼幸らは山内氏(世羅郡津口)や長谷部氏(上下翁山城)らと戦ったが、敗れ逃れて後、落飾し正平九年(1354年)に没したという。『府中市教育委員会説明板』より。