高穴城 (たかなじょう) (高那城)
所在地 愛媛県松山市横谷 2020.2.6
高穴城 (たかなじょう) (高那城)
所在地 愛媛県松山市横谷 2020.2.6
登城ルート
階段から登る
西側のピーク
西側の堀切
西側平坦地
主郭・石宮
高穴城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 松山市横谷の標高292.1mの山頂に築かれている。
山頂の主郭と西側の平坦地から構成され、堀切や岩場が多い要害となっている。
斜面は急で、位置を見失わないようスマホ片手に、位置を確認しながら登った。割と開けているが斜面は急で、落葉で靴が滑り苦労した。
【案内】 県道178号線が河野川を渡った先に擁壁階段があり、少し先に駐車する[マップコード53 712 732*22](地図)。
階段を登ると排水路がありそこから斜め左に直登し北西尾根に着く(地図)。
尾根から右(東)に登ると、ピークに出、その先に岩を利用した堀切がある。その上に細長い平坦地があり、岩場の斜面を登ると主郭に着く。
主郭は東西に細長く、三角点、石宮が建てられ、やや東に井戸(天水)がある。北側面に石積が残っている。
【歴史】 築城時期ははっきりしないが、河野氏によって築かれたと考えられている。
養和元年(1181年)源氏方に味方し高縄山城で河野通清が挙兵すると、備後国の奴可入道西寂が大軍で来攻し、通清は日高城・高穴城・恵良城を守らせて防戦したが、落城した。
文明十一年(1479年)細川義春が阿波の軍勢を率いて伊予に侵攻し、河野通生の弟勝生が高穴城を守った。結果、攻めあぐねた義春は退去した。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉の武将・小早川隆景が伊予に来攻し、高穴城は二神一族が守り応戦したが、敗れ落城した。