今宮城 (いまみやじょう) (津向山城)
最寄地 京都府南丹市美山町高野石橋17 2017.3.24 2017.5.4
今宮城 (いまみやじょう) (津向山城)
最寄地 京都府南丹市美山町高野石橋17 2017.3.24 2017.5.4
登城ルート(緑線は車道)
今宮稲荷神社鳥居
西200m付近から登る
2郭・奥に主郭
西側腰郭
主郭・土塁(奥)
左が主郭・1番目の堀切
1、2番目の堀切
3、4番目の堀切
今宮城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 標高550.3m津向山から南東に伸びた標高約420mの尾根にある連郭式の山城である。北西端に主郭、その北西側の四重堀切が残っている。
2回目の挑戦であった。一度目は登り口が判らず西側の急斜面をよじ登り、津向山に登ってしまい、遺構もなくがっかりして帰ったが、2度目にやっと主郭が見つけられ、苦労が報いられた。
それにしても、尾根を切る4重の堀切は圧巻である。
【案内】 国道162号線(周山街道)より高野集落に入り、南麓にある今宮稲荷神社先に駐車スペースがある[マップコード282 127 420*12](地図)。
稲荷神社鳥居の右から入ると作業道があり、獣除けフエンスを2ヶ所開け閉め、作業道分岐より西へ約200m進み、右側をよく見るとピンクのテープがあちこちの木に付けられている(地図)。山麓の民家の裏に当たり、屋根が見える(登り口碑が欲しいところ)。
ジグザグにテープを頼りに北に登ってゆくと尾根先端部に着く。北西に登ってゆくと、広い2郭があり、一段高く主郭がある。
主郭北には土塁があり、西側に腰郭がある。主郭土塁の北西に下ると4重堀切が見事に残っている。そのまま延々と登ってゆくと津向山頂上に着く。
【歴史】 築城年代は定かではないが、川勝広継 (光照)によって築かれたと云われる。
川勝氏(下田氏)は丹波国桑田郡・船井郡内を知行し、室町幕府に仕えてきた。
戦国時代に川勝広継は桑田郡今宮に住んで、12代将軍足利義晴、13代将軍足利義輝に仕えた。そして、美山町静原の島城を本城とし、八木の守護代内藤氏、京北の宇津氏、篠山の波多野氏など、丹波国の勢力と対峙した。
天正七年(1579年)織田信長の直臣明智光秀が、丹波へ侵攻すると光秀に従って活躍した。
その後豊臣氏、徳川氏に仕え、江戸時代には旗本として続いたという。