志賀城 (しがじょう)
最寄地 大分県豊後大野市朝地町志賀599 2019.5.6
志賀城 (しがじょう)
最寄地 大分県豊後大野市朝地町志賀599 2019.5.6
登城ルート(緑線は車道)
北側の段郭
東の郭の入口
東の郭(藪)
西の郭・土塁
西の郭・土塁
志賀城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 朝地町志賀の標高202mの独立丘陵に築かれている。北側に段郭があり、東側の最高所が主郭となっている。
周囲にはフエンスが巡らされ、扉も開けられたような形跡もなく、東側は草茫々であった。
西側は杉林で日射も少なく割と開け、西側に高土塁が残っていた。
【案内】 志賀集落に向かう市道を南下し、豊肥本線踏切を渡った表記番地手前の空き地に駐車した[マップコード237 250 533*01]。
100m程西に行き、農道を南下するとネットフェンスが2ヶ所あり、その先を登ると、東郭、西郭の間に着く。
東郭は草など茂っているが、西郭はやや開け、西端に高土塁が残っている。
【歴史】 鎌倉時代、大友氏初代能直の8男能郷が大野荘志賀村を与えられ背子に居館を構え、志賀氏を名乗った。後に志賀城を築いたと伝えられる。
建武元年(1334年)に後醍醐天皇の命を受けた志賀貞朝は岡城を拡張し、志賀城より移り、北朝方と戦ったと云われる。