小倉山城 (おぐらやまじょう) (小蔵山城・紅葉山城) (国の史跡)
最寄地 広島県山県郡北広島町新庄1281 2016.5.18
小倉山城 (おぐらやまじょう) (小蔵山城・紅葉山城) (国の史跡)
最寄地 広島県山県郡北広島町新庄1281 2016.5.18
北側入口・城跡碑
二の丸跡・土塁
本丸二の丸間の堀道
本丸・掘立柱建物跡
三の丸跡
御座所跡・井戸
御座所跡南西の堀切
小倉山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【案内・感想】 浜田自動車道「大朝IC」より国道261号線(石見街道)を北に行き、「上市」交差点の次の交差点を右折して行った表記番地の横に、南側駐車場が用意されている[マップコード322 644 533*58](地図)。
また、国道261号線「上市」交差点より北に1km行った交差点を東に約350m行くと、北側駐車場が用意され、案内図が建てられている[マップコード 322 674 264*21 ](地図)。こちらの方が、城跡に近い。
本丸跡には掘立柱建物跡が2棟平面復元されている。本丸の南に「御座所跡」があり井戸と南西端に大きな堀切が残っている。
また本丸の西に「二の丸跡」、南東に「南側郭」があり、登城路、門跡、土塀跡がある。その北東に「東側郭」がある。
本丸の北側に腰郭があり土塁が残っている。堀切が残り、登ってゆくと細長い「三の丸跡」がある。
昭和六十一年(1986年)8月28日、吉川氏城館跡として小倉山城跡・駿河丸城跡・日野山城跡と共に国の史跡に指定された。
【歴史】 正和二年(1313年)吉川経高が駿河国吉川邑から安芸国大朝庄に移住し、当初駿河丸城を居城にしていた。
南北朝時代末期に吉川経見が東約3kmに小倉山城を築いた。以後「鬼吉川」と呼ばれた安芸吉川氏の拠点として栄えた。毛利元就夫人の妙玖(吉川国経の娘)もここで誕生している。
吉川元春が天文十九年(1550年)に日野山城を築き、居城を移すと小倉山城はその役割を終えた。