神楽尾城 (かぐらおじょう)
最寄地 岡山県津山市総社240 2020.3.14
神楽尾城 (かぐらおじょう)
最寄地 岡山県津山市総社240 2020.3.14
登城ルート(緑線は車道)
入口
堀切・2郭
2郭
馬場南の3郭
腰郭・物見櫓
本丸・櫓台
神楽尾城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高130m】
【感想】 津山城の北東約3kmに位置し、標高308.2mの神楽尾山に本丸が築かれている。
南尾根に馬場、3郭が、南東尾根に2郭が築かれており、堀道で夫々結ばれおり、堀切・土塁などよく残っている。
【案内】 神楽尾公園(表記番地)北側の駐車場が利用できる[マップコード153 584 164*11](地図)。
その北より遊歩道が設けられ、要所に標識があり安心して登れ、大勢のハイキング客が訪れていた。
昭和六十一年(1986年)7月1日、津山市の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は不明だが、正平年間(1347~70年)には宇都宮教定が在城していたと云われる。
天文元年(1532年)出雲の尼子経久が美作に侵攻し、山名氏兼の守る神楽尾城を落とした。
永禄九年(1566年)尼子氏が安芸の毛利氏によって滅亡すると、神楽尾城は毛利氏に属し、守将に大蔵甚兵衛尉尚清と千場三郎左衛門が置かれた。
天正七年(1579年)神楽尾城の大蔵尚清らは宇喜多方の荒神山城を夜襲したが、事前に荒神山城主花房職秀に知られて惨敗し、逆に神楽尾城を攻められて落城した。