防己尾城 (つづらおじょう) (吉岡城・ 亀山城)
最寄地 鳥取県鳥取市金沢603 2016.5.2 2017.5.5
防己尾城 (つづらおじょう) (吉岡城・ 亀山城)
最寄地 鳥取県鳥取市金沢603 2016.5.2 2017.5.5
登城ルート(緑線は車道)
本丸跡
城址碑
二の丸・土塁
三の丸南の郭
三の丸北の郭
防己尾城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 県道21号線の交差点手前に案内標識があり、県道190号線を1km行き左折すると、湖山池公園駐車場がある[マップコード125 601 008*26] 。
駐車場の北に広場があり、左に登ってゆくと尾根の出、南に標高約45mの二の丸、北に行くと標高約38mの本丸跡がある。
本丸跡には、「防巳尾城址」の石碑、説明板が建てられている。東端から湖山池が望める。
二の丸跡には西側に土塁が残り、南に虎口がありその下に竪堀が見て取れる。
駐車場の東側山頂に公園となっている標高約31mの三の丸跡があり、北に少しずつ高くなって3つの曲輪、帯郭などが残っている。
【構造】 湖山池に半島状に突き出した標高38.18mの小丘に築城され、それぞれ独立した3つの丘を本丸・二の丸・三の丸とし、その周囲に階段状に数段の削平地=砦が設けられていた。3つの小丘は、堀切、竪堀、切岸で厳重に防御され、小さいながらも攻めるに難い城だったことがうかがえる。
本丸と三の丸に挟まれ湖山池に面した東方平地(現在の駐車場・広場)に、小規模ながら町屋が形成されていたと考えられている。
現在、城地は城跡公園となっているが、土塁、曲輪跡、竪堀跡、切岸が残っている。
【歴史】 もともと吉岡氏は六反田の丸山城を本拠としていたが、天正元年(1573年)頃に箕上山城(鳥取市三山口:標高297.1m)に本拠を移した。
しかし箕上山城はあまりに峻険かつ深山だったため、天正七年(1579年)因幡国の有力国人・吉岡将監定勝が防己尾城を築いて新たな本拠とした。
天正九年(1581年)の羽柴秀吉の鳥取城攻撃に際し、吉岡将監は防己尾城に拠って羽柴秀吉に対抗した。湖畔の小城一つと見くびった秀吉は3度にわたって手勢を差し向けるが、将監は変幻自在の戦法で秀吉の大軍を3度とも撃破している。特に2度目の防己尾城攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印も打ち捨てられるほどの大勝だった。
力攻めは不利と悟った秀吉は兵糧攻めに切り替え、糧食つきた吉岡一族は降伏して城を出て、毛利氏の本拠である安芸国など諸国を放浪の末、因幡国にもどって帰農したと伝えられている。