金山城 (かなやまじょう)
最寄地 愛媛県宇和島市三間町成家759 2021.3.8
金山城 (かなやまじょう)
最寄地 愛媛県宇和島市三間町成家759 2021.3.8
登城ルート
登り口・説明板1
西の堀切
西1段の郭
西2段の郭
主郭西の切岸
主郭
金山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 三間町成家の頂上が平らな独特の山容の標高287.5mの金山に築かれている。
東西約100m南北約200mの範囲に10の郭から構成される複郭式の山城となっている。主郭は削平され南北に細長く、土塁や井戸跡の窪みが見られる。
西尾根に堀切がよく残っている。
【案内】 成妙小学校(表記番地)の東側の道路脇に案内板があり、そこに駐車スペースがある[マップコード176 461 466*42]。
沢を渡って沢の右側を進むと、砂防ダムの先から堀道が尾根まで通じている(標識あり)。尾根を右(南東)に登って行くと、堀切があり2段の郭がある。その先に南北に細長く広い主郭がある。
主郭北側に土塁があり、その北側に5m程低い郭がある。
主郭南側に水手や頌徳碑、説明板などが建てられている。南側下段にも郭が残っている。
【歴史】 城主は成妙郷9ヶ村1700余石を所領とした今城肥前守能親とその子兵庫守能信だった。能信は西園寺旗下十五将の一人であった。
天正年間に長宗我部氏に攻められ城主・今城兵庫頭は敗死した。