丸山城 (まるやまじょう) (県の史跡)
最寄地 島根県邑智郡川本町田窪84 2017.5.7
丸山城 (まるやまじょう) (県の史跡)
最寄地 島根県邑智郡川本町田窪84 2017.5.7
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・城跡標柱
西の丸東虎口石垣
三の丸
本丸虎口石垣
本丸
丸山城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 標高480m麓からの比高約230mの円山(まるやま)にあり、破却されて石垣が部分的に残るのみであるが、石垣を多用した城である。
【案内】 県道22号線より西へ行った表記番地先に西勝寺入口碑が建てられている[マップコード355 559 130*43]。そこを直進し林道を約2.5㎞上り詰めると、八合目付近に駐車場が用意されている。
円山頂上に本丸があり、北西に西の丸、中間に三の丸がある。西の丸は東西に虎口があり中央に仕切りの土塁が残っている。
三の丸は鞍部にあり、東に本丸の虎口石垣が残っている。本丸は土塁が残り、東側に石垣を持つ二段の平坦地から成っている。南側に石垣が残っており、その南に四郭、五郭がある。
また東側下段には、付属曲輪で最大の十二曲輪があり、遊具が設置されている。
平成二十八年(2016年)4月12日、島根県の史跡に指定された。
【歴史】 天正十三年(1585年)石見小笠原氏15代長旌(ながはた)が築城した。
石見小笠原氏はそれまで温湯城(ぬくゆじょう)を居城としていたが、毛利氏との和睦後に所領替えをされたため、居城を湯谷城(弥山城)へと移していた。
天正十年(1582年)に、この地に築城を開始し、3年後の天正十三年(1585年)頃に完成したと云われている。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、小笠原氏は毛利氏の防長移封に従い、丸山城も廃城になったと思われる。
廃城時、もしくは寛永十四年(1637年)の島原の乱の後に破却が行われたと推測される。